この前
この前ミュシャ展にいった。
ポスターとかの展覧会は地元で開かれた時に行ったことはあって楽しかったけど、今回も行くかどうかは迷ってた
行ったら行ったで良いんだろうけど、んーまぁいいかなぁ、遠いし混んでるし面倒だし…みたいな。
でもきっかけが出来たので行くか、と思って
行ったらもう、すごく良かった。
ミュシャって綺麗な女の人を処理された綺麗な線と色で描く人、だと思ってたんだけど
スラヴ叙事詩を観て、あんなに沢山の民衆を描いていることにびっくりした
こっちを睨むように見ている女、虚ろな目をした女、とか、目が印象に残ってる。
自分のルーツであるスラヴ民族への愛、
歴史をつないできた民衆への尊敬、
指導者や王は絵の中の一部に小さくいることが多くて、どこが中心か分からないような絵。
例えば、争いや悲劇を描いた作品のゲルニカとか、ゴヤの5月3日とかは生々しくて、観た人にダイレクトに訴えかけるものが大きいと思うけど
スラヴ叙事詩では戦いのシーンでも生々しい表現や流血を避けていて、
「悪に悪で報いるな」という副題の付いた絵には、戦いの後の深いかなしみと怒りの中で、冷静にその場を導く老人が描かれていたり。
訴えではなくて、祈りの比重が大きくて、
かなしみの中でも未来への希望を忘れないことの大切さが伝わった
これは作者が体験したことに対する怒りや恨み、訴えや、ただ感情や好みをぶつけた絵ではなくて、実際体験はしていないから成し得たことかもしれないけど これまでのポスター作品のように、作者の中で整理してデザインされたものだった。
そんなことをいろいろ考えてしまい、やっぱりミュシャ天才だ…と感動した
全てを通して、大きくて象徴的なモチーフはよく出てくるんだけど劇的だったり仰々しくはなくて、それは民衆を描いていること、リーダーにフォーカスを当てていないことが大きくて
例えばドラクロワの自由の女神だとリーダーが一目で分かる演出がされているけど、それと対照的だなと思った。
教科書の歴史の年表を見るとき、
19××年 ●●が△△遠征
みたいに要所をピックアップしているものを見て、その年はそういう大きなことが起きた!という情報だけ受け取っていたんだけど、
当たり前だけどその年はそのことしか起こってないんじゃなくて、その出来事に関わる関わらないは関係なくその時代に生きていた沢山の人達がいて、その人達の苦悩とか努力とか喜びとか、いろんなことがあって、私たちの今の世代のひとりひとりまでを繋いでいるんだな、ってことを考えてしまうような作品群だった
これが叙事詩ってことなのかな?
わからないけど、
見えないものに祈る気持ちとか、続いて行く命への尊敬だった。
お金の為自分の為じゃなくてもっと大きなものの為の絵
あの絵の大きさと、数の多さ、絵の細やかさがそれを感じさせているんだと思う
知識はないけど
作品を観て感じたこと
落ち込むこともたくさんあったけど こうやって偉人の作品に触れることで感動したり元気が出たりして、活力になるな…と改めて思った
その時思うだけじゃなくてこうやって書き留めて、残しておこうと思う めちゃくちゃだけど